駆け出しのサラリーマン時代、東京の本社から月1~2回、秋田の工場での会議や打ち合わせに出席するため、上野から寝台夜行列車「出羽」で秋田に向かい、翌朝7時頃に、秋田県にある工場の最寄り駅、象潟駅で下車。
駅前の民宿でシャワーを浴びて、朝ご飯を頂き、8時半、工場に出社。
終日の会議や打ち合わせを終えて、夕方から工場の先輩方と駅周辺の居酒屋で飲み会。
夜、ほろ酔い気分(又はかなりの泥酔状態)で上野行の寝台夜行列車「出羽」に乗り込み、(又は工場の先輩方に放り込まれて)東京に戻ります。
翌朝6時過ぎに上野着。
上野駅周辺のサウナでひと風呂浴びて、朝食を食べさせてくれるファミレスなどで腹ごしらえして、8時半前後に東京都内の本社に出勤。
車中2泊3日の出張が毎月のようにありました。
その後、高崎の営業所に高崎営業所開設メンバーの一人として転勤。
井野駅という、当時両毛線の高崎駅の次の駅の目の前のアパートに家族で引っ越しました。
高崎転勤後も、営業担当者として、滞りなく商品を確保するため、定期的に秋田の工場には出向きました。
高崎からは最初の出張の時でした。上野から乗りなれていた、お馴染みの寝台夜行列車「出羽」に乗った時でした。
自分の乗るべき車両と寝台番号に向かうと、既にその寝台番号のカーテンは閉まっていて、誰かが熟睡状態でした。
車掌室まで行って、事情を話すと、私の切符を見た車掌さんは、「お客しゃん、このクップはクノウのクップデス。」
私、頭真っ白「・・・・・・・! エッ、どういうことですか?」
そうだったのです。クノウのクップだったのです。
出羽は上野23時頃の出発。
高崎着は0時20分頃。ですので、翌日の夜中になるのです。
私は、上野から乗っていたつもりの日付で切符を前売りで購入。
実際に乗るのは、高崎発翌日の夜中だったのです。
幸い、大らかな時代と、大らかな秋田生まれと思われる車掌さんのお陰で、空いている寝台番号に無料で変えていただき、無事に翌早朝、いつも通りの駅前の民宿で、ひと風呂浴びて、朝食を頂き工場に何事もなかったように出勤することができました。
寝台列車での出張。
出張先の秋田の皆さんには、ホントに良くしていただき、楽しいお酒の思い出が沢山できました。
兎に角皆さんお酒に強いの、なんのって。お陰様で何度も意識不明になったようです。
また機会がありましたら、脳活回想いたします。
9月18日
※写真上段は世田谷運動公園内にあったC57。