1月23日 体外離脱体験 その②
幼少の頃、外で思い切り遊んだりすると、簡単に熱を出して寝込んでいたことは自覚としてある。
近所のAK病院のAK先生は私が熱を出したというと、病院での診察を終えた後に、往診で自宅まで来てくれる、私にとっては救世主のような存在でした。
両親は高円寺商店街でお店を営んでいた。自宅は駅に近い商店長屋のお店の二階。
古い記憶?それとも夢か?
いずれにしても、その体験の記憶は、商店街の二階での出来事です。
ある日、外で走り回って遊んだ日、また熱を出して寝込んだ。しかし、この時はいつもと違って熱が下がることはなく、逆にかなりな高熱が出て、意識が朦朧としてきた。
夜、AK先生が往診に来てくれた時には、恐らくかなり危ない状態だったようだ。後で教えてもらったのだが、病状は肺炎だったとのこと。
当時、両親は高円寺のお店の他に、沼袋にもお店を持っていた。共働きで深夜まで働いていた。高円寺のお店はどちらかというとヒマで、沼袋のお店がかなり繁盛していたため、両親は沼袋のお店にいることが多かった。
その日、高円寺のお店の二階には沼袋から一足早く帰っていた(駆けつけていた)母親、兄、両親不在の高円寺のお店の切り盛りをしてくれる母方の叔母さん、訳あって高円寺の二階に同居しているお手伝いのSちゃん、の4人がいた。
そして往診に来てくれたAK先生。
AK先生の診察中、朦朧とする意識の中で、母親、兄、叔母さん、Sちゃんが私の名前を呼ぶ声が聞こえていた。
そんな中でスーッと意識が遠のいた次の瞬間、私は部屋の天井の角にへばりついていた。
そこから、寝ている私を心配そうにのぞき込みながら、母親、兄、叔母さん、Sちゃんの4人が私の名前をかなり大きな声で連呼する姿を見ていた。
AK先生は慎重に聴診器で、私の胸の音を聞いている。
当時、蛍光灯などという洒落たものは我が家にはなかったので、電球で照らされた部屋は黄色の世界だった。部屋を照らすには十分な照度だったと思うが、天井からの眺め(記憶)では部屋の四隅は薄暗く感じた。
暫く無感情にそんな光景を眺めているうちに、天井にへばりついていた私の意識もなくなった。
次に覚えているのは、部屋の天井が見えることだった。朝が来て、部屋は明るかった。
AK先生がペニシリンの注射を私にしてくれたことは、後になって聞かされた。
その後も何度となく熱を出して、痙攣を起こしたりして、家族には心配をかけた。
その都度AK先生は往診に来てくれて、何度かペニシリンの注射を打ってくれた。
ただ、部屋の天井にへばりついた記憶(夢?)は、一度きりだった。
昔からの友人にこのことを話しても、無関心に「そりゃ!夢だね!」
実は勇気を出して、家族にもこの体験は話したことがあるが、やはり「あんたは時々変な夢でうなされるから!」
ヘンな夢、不思議な夢はたしかに見るし、うなされるし、夢の中で大きな声を出したら、実際に大声を出していて、隣の部屋から父親がびっくりして飛んできたこともあった。
しかし、この体験だけは!!!
ブログというのは、これで良いのかどうか? 勉強中です。
これからもよろしくお願いいたします。