どうする家康!に出てくる今川氏真。昨日の主役でした。
東海一の弓取り、今川義元の息子、今川家のプリンスとして有名です。
しかし、世の中の評価はどちらかというと出来の悪いプリンスではないでしょうか?
以前から、私の中でも、当主失格、人望の無さから今川家を滅亡させたお坊ちゃま大名という評価です。
歴史上の大大名の跡取りが、お家を守り切れなかったことで、なんの取柄もない自分の事を棚上げした、この上から目線は何なのでしょうか?
お前こそ、失格だ!と自分に言ってしまうほど、自身の勉強不足を突き付けられ、また、歴史の下す評価というものはわからない、と改めて思った歴史秘話ヒストリアの内容でした。
今川氏真は妻早川殿と二人三脚で、血なまぐさい戦国時代を、その文化人としての教養、見識、そして、想像以上の粘り強い人間力で見事に生き抜きました。武田信玄、徳川家康との戦に敗れた後、早川殿の実家北条家を頼りました。北条家没落後は、父義元の死後、織田信長と同盟を結び、今川家を苦しめた徳川家康の力を頼りました。なんと、家康の家臣となり、やがて全国に力を持たんとする父義元の仇である、織田信長にも取り入って、家族の安定、安心を手に入れます。戦国の世も終わりに近づき、武力の世界から、やがてやってくるであろう文化、教養の世界への転換期を見事に読んで、子供達への熱心な文化教育を怠らずに、徳川秀忠二代将軍時代には武家社会の幕府と公家社会の朝廷の間を取り持つ高家という立場を勝ち取り、その子孫は、江戸幕府終焉まで、地道に活動し、武家と公家を結ぶ役割を担ったそうです。
氏真公の子孫は、江戸幕府では、高家出身者は旗本になれないという前例を覆して、高家旗本という地位まで獲得することができたそうです。
明治維新後は暫くは、子爵という地位にあったそうです。
戦国武将という観点からすると、偉大な父今川義元、武田信玄、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗など、歴史上の偉人と言われる武将との比較では、到底及びもつかない、凡将であり、情けない当主扱いが歴史上の評価だと思います。
しかし、一人の人間としての生き方としては、妻早川殿を愛し、家族には、将来生きるための教育を熱心に行い、過去のプライドや恨みなどに拘らずに、ただひたすら子孫の行く末を考え、将来の世の中の動きを見通すことに注力し、そのための情報収集を怠りませんでした。
その傍ら、自分の趣味を大切にし、旅行を好み、詩を好み、自分の教養を磨くことに時間を割くことを厭わない。何とも羨ましい生き方だと感じました。
想像もつかない勉強家で努力家、そして情報収集家だったと思います。
そうでなければ、300年以上も続く徳川幕府の中で、高家旗本という地位を獲得する将来の礎など作れるはずもありません。
戦国武将の多くが、強大な力を持ったものの、志半ばで倒れてゆく。天下人になったとしても、その権力を維持するために費やす心労、やがて、疑心暗鬼に陥り、心が病んでいく事を考えた時に、人生の勝者と敗者とは一体何なのだろうか?
テレビ番組でチョット見ただけで、何とも言い難いのですが、今川氏真公の生き方は、何が勝ちで何が負けなのか?そんなことを考えさせられる生き方のように思いました。
本日は、これで失礼いたします。
3月27日