定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

歴史の面白さは自己推理。 飲み屋での歴史推理は自由で楽しい。

歴史は何が真実なのか?がわからないところが面白いところ。

様々な歴史小説、資料を読んで、自分自身の仮説を立てる。

私は歴史に深い造詣があるわけでも、深い知識があるわけでもありませんが、歴史小説が好きで、歴史に関しては自分なりの推理をたてて、楽しむことが許されます。

 

自分なりに立てた推理を、お酒の席で、同じように歴史推理好きの酒飲み友達と、ああだ、こうだと意見を交わしていると、あっという間の時間が過ぎてしまいます。

 

先日も本能寺の変から、豊臣秀吉の中国の大返しと明智光秀の最期について、飲み友達の私見と、私の私見を出し合って、大いに盛り上がりました。

飲み友達の私見は、私にはとても新鮮で、良く考え付いたなあ、という内容でした。

いろいろと読んだ、関連小説や文献を自分なりにつなぎ合わせて、考えた今のところの推論だという事です。

 

飲み友達の私見(推論)のポイントと私の私見のポイントの共通点などを列記します。

 

本能寺の変で、本能寺に攻め入ったのは、光秀ではない。高山右近である。

 青字は飲み友達独自の推論です。

キリスト教擁護から、徐々に追い出しに動き始めた信長を、外国勢力とキリシタン

 大名が手を組む形で、暗殺計画を周到に準備した。

 このパワーバランスを巧みに操ったのが秀吉。

 影の首謀者的役割の一翼を担っていた。

・当時のずば抜けた実力者信長暗殺は、到底一人の力では無理。

 様々な方面からの力の結集があって実行された。

・秀吉の役割のひとつは、中国攻めの最後の仕上げを信長に要請。

 信長の出陣をあえて仰いだ。

・信長の中国攻め仕上げの主力軍は光秀軍。光秀は中国攻めの準備に追われていて、

 敵は本能寺にあり、部下にギリギリまで計画を漏らさず、実行する余裕はなかった。

・光秀軍と信長を敢えて分離させるべく仕組んだのも、秀吉一派ではないか?

・秀吉は数万の軍勢を引き連れて、中国の大返しはせず、秀吉自身の周辺を守る精鋭

 部隊と重臣のみを引き連れて、急ぎ戻った。既に戻る準備は事前にできていた。

 これは、あらかじめの決められた行動であった。

高松城の攻防戦は殆ど、勝負がついていたので、急な和平交渉などは行われずに、

 事前に交渉は終わっていた。

戻った秀吉は、高山右近と合流して、天王山の決戦場に向かった。

・光秀は本能寺の急変を聞いて、混乱を鎮めるべく奔走したが、用意周到な秀吉、

 高山右近キリシタン大名連合軍にあえなく敗退。

 

では、家康はどのようにして、伊賀越えを行ったのか? 

20人足らずの集団で、落ち武者狩り、敵(誰が的なのか????)の追尾から逃れることは不可能ではないか?

家康を逃がしたのは、光秀? それとも?

伊賀越えの不思議については、次回までにそれぞれ勉強して、改めて議論を楽しむことになりそうです。

 

飲み友達や私の私見私見として、今回の大河ドラマで、歴史的大事件、本能寺の変と、家康の伊賀越えが、どのように描かれるのか?

今から楽しみです。

7月5日

※若き政宗公は、本能寺の変の2年後に、隠居した輝宗公から家督を継いだと

 言われています。当時19歳の若さだったと言います。