昨年の今日、27年ぶりに会津若松を訪れました。
福島は父親の生まれ故郷。
子供の頃に両親に連れられて、何度も会津若松を訪れていました。
27年前、家族旅行で会津若松を約30年ぶりに訪れました。
大昔も、27年前も、そして今回も、印象的だったのは、何といっても飯盛山。
お線香の匂い、悲しい空気が流れています。
若い英霊にお祈りを捧げて、資料館に。
27年前、当時11歳だった長女には、特にインパクトが強かったようです。
当時11歳、あと、数年すれば自分も13歳、14歳。
戦争に巻き込まれて、戦場で戦い、敗れ、自刃して、短い一生を終える少年達の姿。
想像もつかない事が、自分とそれほど遠くない年齢の男の子たちの身に起きる。
その現場に自分がいることに、とてつもない衝撃を受けたようでした。
自宅に帰ってからも、白虎隊の本、資料を食い入るように読んでいた姿が蘇ります。
飯盛山を27ぶりに訪れて、当時の娘の受けた衝撃を思い出しながら、変わらぬ悲しい空気が流れる飯盛山で、平和の尊さを感じながら、改めてお祈りを捧げた昨年の今日でした。
小さくてわかりづらいですが、中央に見える鶴ヶ城の背後から、煙が上がり、
少年達は、「もはやこれまで」と覚悟し、自刃して果てたそうです。
奇跡的に助かった、ただ一人の生存者、飯沼定吉氏が、何十年も経ってから、重い口
をひらいて、悲しい出来事が、世に知れることになったとの事です。
何度訪れても、自然と涙がこぼれる、悲しい空気が今も流れています。
本日は、これで失礼いたします。
7月6日