私は幼少期、とてつもなく体が弱く、外でハッスルして遊んでは、しょっちゅう熱を出していました。時には肺炎を起こして、朦朧とした中で、体外離脱らしき体験までする始末。
熱を出すたびに、近所のAK病院のAK先生が病院での診察を終えた後、高円寺駅前の商店長屋の2階に、往診に来てくれました。熱がひどい時などは、よく注射をしました。多分ペニシリンだと思います。効果テキメンでした。
AK先生は私にとって、熱や病気から解放してくれる、救世主のような存在でした。
そんな救世主の先生に向かって、注射が嫌いだった私は、注射の時に「エチオピアに帰れ!」と悪態をついていました。
エチオピアの人に対して勿論悪気はありませんが、私の中では、どこか遠くに行ってしまえ!という意味だったのかもしれません。救世主の先生に対して、ヒドイ子供です。
AK先生はエチオピアには帰らなかったし、その後も私が熱を出すと、往診に来て、私を何度も救ってくれました。
私の病弱期が小学校の2~3年生あたりになると、徐々になくなってきました。自宅も永福に移りました。1964年、小学校4年生の秋に、東京オリンピックが行われました。
当時通っていた、小学校の近くの甲州街道へ、マラソンの応援に学年単位で行き、代田橋と明大前の間に私たちは陣取りました。
マラソンも後半勝負どころの35~36キロ地点でしょうか?国立競技場に向かって、甲州街道上り車線を先頭で颯爽と走ってきたのは、裸足の王者アベベ選手。前回大会ローマ五輪を裸足で走り、マラソン五輪王者となったことから、裸足の王者と呼ばれていたそうです。
この日は、裸足ではなく、靴を履いていました。白い靴が印象的でした。精悍な眼差し、表情ひとつ変わらない冷静な表情、まさに英雄・王者の風格。
救世主AK先生に向かって言った、「エチオピアに帰れ!」のエチオピア!
英雄・王者の祖国でした。
私の幼少時の救世主AK先生と、目の前を走るマラソンの英雄・王者アベベが「エチオピア」という国で完全に繋がった瞬間でした。歴史的な1964年でした。
あれから間もなく59年。エチオピアには一度も行ったことはありません。この先、行くこともないと思いますが、見知らぬ国エチオピアという響きは、病弱だったころ住んでいた故郷、高円寺の商店長屋の2階を思い出させてくれました。
貧しい時代でしたが、なんとも温かい、懐かしい時代です。
脳活回想、他愛のない思い出話で、失礼いたしました。
2月6日
※2月6日 宇都宮 今日も快晴です。