定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

もう一つの人生を想像して、勝手にワクワク。

大谷選手の元通訳水原氏は、嘗てラスベガスでディーラー養成スクールに通っていたとの報道がありました。

この報道を聞いた時に、私がまだ学生だった頃、アメリカの西海岸を旅行、ラスベガスに行った時のことを思い出しました。

 

バイトで稼いだお金を、ルーレット、ブラックジャックにかけて遊びました。

当時の私にとっては結構な金額に膨れ上がるというビギナーズラックを経験しました。

ルーレット等は、私のツキ方を見て、そろそろ稼いだ分を戻してもらおうと思ったのか、何人かディーラーが代わりました。

しかし余程のツキだったのか、勝ちが続きました。

何人か代わったディーラーの一人が日本人の女性でした。

年齢はわかりませんが、恐らく40歳前後の方だったでしょうか?

ラスベガスでディーラーとなり生計を立てているようでした。

今から50年近く前の出来事です。

ルーレットを回しながら、日本人女性ディーラーが私に「あなたは、その気になればディーラーなんか向いているかもしれないよ?ベガスのディーラー学校でも通ってみたら。」

「ディーラーの学校があるんですか?」

初めてディーラー養成学校があることを知りました。

その日本人女性も養成学校に通って、ディーラーとして認定されて、ラスベガスで働いていると言っていました。ラスベガスに限らず、アメリカは結構暮らしやすいとの話でした。

 

当時、将来自分の人生がどうなるのか、何になりたいのか、皆目見えてこない、目標も目的もわからない状態でした。

このままディーラー養成学校に通い、ディーラーになってラスベガスで生きてみるのも面白いかもしれないと、瞬間考えました。

しかし、日本にいる親の顔も浮かんだりして、直ぐに現実的に難しいだろうと決めて、目の前のルーレットに没頭しました。

 

あの時、そんな生き方を選んでいたら、その道を進んでみたら、その後の人生はどうなっていたのでしょうか?

両親はどんな反応をしたでしょうか?

ギャンブル好きな父親は、「オレがラスベガスに行くまでには、一人前のディーラーになっていろよ!」と言ってくれたかどうか?

結局は選択していないのですから、何も変わりはしないのですが、最近読んだ小説のように、別の選択肢=アメリカに住むという選択をしたらどうなっていたのか、一人で勝手にベガスでの生活を想像して、勝手にワクワクしてしまいました。

5月28日