大谷翔平選手はMLBのルールや運営方法まで変えてしまうほどの影響力です。
大活躍の大谷選手はMLBにとっても、入場者の伸び悩み、スポンサー収入、放映権収入の伸び悩みに歯止めをかけて、V字回復をさせる救世主でもあるようです。
28~29年前、選手会とMLB機構、球団経営者との溝が深まり、前代未聞の選手会ストライキによって、人気が低迷したMLBを救ったのは、一大旋風を巻き起こしたトルネード投法、野茂英雄投手の出現だったと言われています。
当時ビジネスで良くロスアンジェルスを訪れていましたが、いたるところでドジャーブルーの背番号16のTシャツを着た年配者、若者、そして子供達を数多く見ました。
広場やビーチでキャッチボールをしている子供達も、NO—MO!と掛け声をかけながら、トルネード投法を真似る姿も良く見ました。
野茂英雄さんのMLBノーヒット・ノーランはア・リーグ、ナ・リーグ、両リーグで達成されており、一言凄いという言葉しか出ません。
二刀流は無理だと言われていた大谷選手同様、あの投げ方はMLBでは通用しない!何を考えているのか?と日米両方から厳しい言葉が飛び交っていたようです。
二人のパイオニアー、厳しい評価→大活躍→スーパーヒーロー→MLB救世主、共通する部分は自分を信じる不屈の精神力でしょうか?
残念ながら、というか当然ながら、野茂英雄さんの歴史的ノーヒット、ノーランは現場では見てはいません。
しかし、野茂英雄さんがMLBで記録した自身最多奪三振試合、1996年4月のドジャースタジアムのマーリンズ戦。
幸運にも、私は現地で観戦して、回を重ねる毎に、地鳴りのような声援に包まれる異様なスタジアムの雰囲気の中で、歴史的な場面を見ることができました。
野茂さんの17奪三振とともに、印象的だったのは、当時の打の中心選手、ラウール。モンデシー選手への応援。
ドジャーズファンは皆低い声で「ラウール」と一斉に応援をするのですが、これが「ブウーッ、ブウーッ」に聞こえて、相当素行が悪い(ご本人には大変失礼いたしました。)か、昔居たチームでの評判が悪かったのかと思いました。
ドジャースタジアムを手配してくれた、ビジネスでもプレイベートでも、アメリカで大変お世話になっていた日系4世のデーブ氏に、「ホワイ デイ セイ ブウーッ!」と聞いたところ、「オーッ Mチャン、 デイセイ ラウール(この部分だけとても低い声で言ってくれました。)」たしかにブウーッに聞こえないことも無いのですが、よりによって自軍のスター選手、中心選手にブウーッ!は無いだろう。と聞いた後で思いましたが、聞いてしまった後でした。せめて、ホワット デイ セイ?が質問としては、良かったかもです。
肝心の野茂選手の奪三振は終盤の7回以降の一球一球へのスタンドの応援がドンドン大きくなり、地鳴りのような応援に鳥肌が立ったことを覚えています。
そして、7回の攻撃の時の テイク ミー アウト トゥー ザ ボールゲームは当時すでにボールパークの定番としてしっかりと定着していました。
不変のこの歌は、MLBの7回の定番ソング。この歌の場所に居るという事に、またまた鳥肌が立ったことを思い出します。
脳活回想とは言っても、27年前ですので、比較的最近の歴史的場面ですが、何だか、凄い場面をいろいろな方々のお陰で経験させていただいたなあと、改めて感謝しております。
長々とした投稿、失礼いたしました。
7月24日
※栄光の背番号30。草野球の監督時代のユニフォームです。
ベンチの端っこでいい加減なサインを出していました。
ベンチの反対側の端っこでは、キャプテンが本当のサインを出していました。
2回までは相手チームを攪乱できましたが、3回にはバレていました。