定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

高齢者になって考える、頼りになる人の存在? 友人とは?期待しないことが前提!

高齢者関連本を読んで最近感じたことを投稿します。

高齢者の生きる極意として、様々な本で書かれているのが、真の友人の存在の重要性。

人数の多さではなく、如何に腹を割って話すことができるか?

いざという時に頼りになるか?

そういう友人がひとりでもいますか?ということに関する個人的な状況と感想です。

 

真の友人とはどんな存在なのでしょうか?様々な要件があるとおもいますが、

・苦境に陥った時に相談に乗ってくれる?

・苦しい時に助け舟を出してくれる存在?

・何でも相談できる存在?

他にも定義はあるのでしょうが、この定義に当てはめようとするだけでも、私には真の友人はいないことになります。ひとりもいません。完全に孤独な高齢者です。

でも、この孤独を楽しむ、孤独とうまく付き合うことも高齢者の一つの生き方だと説く本やコラムもよく見かけます。

 

さて、孤独な高齢者の私ですが、50年以上の付き合いで、学生時代からの飲み友達は数人いるにはいます。20年以上の昔務めていた会社の同僚の飲み友達は数人いるにはいます。

しかし、苦境に陥った時に相談はしませんでした。これからもしないと思います。

苦しい時に助けは求めませんでした。これからも求めません。

大変な時に相談もしませんでした。これからも相談しません。

何故ならば、彼らには私を救う力などないことが分かっているからです。

逆に飲み友達は、彼らが苦境に陥った時、助け舟が必要な時、多分私に相談してこないと思います。何故ならば、相談しても無駄だと思っているからです。恐らく。

 

飲み友達は飲み友達。踏み入ってはいけない世界が双方にあるような気がします。

だからお互いに踏み入らないで付き合ってきました。

だから50年間の付き合いが成立してきたと思っています。

損得も、上下もありません。

あったら飲み会や食事会には行きません。

 

時々、元気な顔を見ながら、近況を報告し合い、年に数回飲むだけ。食事をするだけ。

友人関係?はこれだけで十分だと思っています。他に何も期待しません。

表面上の友人?関係かもしれません。お互いに何の期待もし合っていないと思います。

時々、元気な顔を見せ合いながら、中身があるのか、ないのかわからない話をしながら、過ぎてしまえば、もうすぐ50年間。そして20年以上。

何かを期待する関係は双方にとって重荷になるだけ。真の友人のいない人生。

孤独な人生だと思います。しかし、だからこそ気楽でイイかな!とも思います。

真の友人がいたならば、人生どうなっていたのか?全く想像がつきません。

真の友人の存在を想像し、考えただけで息苦しくなります。

 

実際に50歳を過ぎて、とんでもない苦境に陥った時、周囲には何の期待もしませんでした。何の相談もしませんでした。もしかしたら、飲み友達含めて、周囲は人の不幸は蜜の味で、興味深々に眺めていたと思っています。そんなもんだと思います。

人生最大の危機に際して、最も頼りになったのは妻であり、心の支えは家族であり、19年間私に癒しをくれた愛犬の存在でした。

それで十分でした。

3月8日

※19年間家族を癒し続けてくれた、在りし日の愛犬の姿。

 私の布団で良く寝ていました。2014年1月静かに、家族全員に見守られて、

 虹の橋を渡りました。