9年の義務教育の内、7年間は、いろいろと楽しいことが多かったですが、小学校3年から4年にかけての2年間は酷いものでした。
決して品行方正の優等生ではありませんでしたが、どこにでもいるような少しヤンチャな生徒という程度でしょうか?
3年生~4年生の2年間担任だったアライという教員免許を持った、終生教師として認めていない男に徹底的に嫌われたようです。理由はわかりません。
アライとの出来事の一部は以下の通りです。
・プールで頭を足で押さえつけられる。蹴とばされるまでは行きませんが、
かなり強い力で押さえつけられました。帰宅後、悔しくて泣き続けました。
・50メートル走では、クラス一はやいOT君と一緒に走って、1メートル弱後れを取って
OT君は8秒フラットでリレー選手。私は10秒0という結果でクラス最下位レベル。
1メートルが走って2秒の違いって?
・校内ソフトボール大会では、頭の高さやホーム盤スレスレのボールを全てストライク
を取られて、三振、悪球に手を出し凡打の連続。勿論主審はアライ。
・昼の弁当を早く食べすぎるというので、怒られる。
・授業中、他の生徒に話しかけて、勉強の邪魔をしたということで、人の邪魔をするの
は、人間のクズのやる事だ!とクラス全員の前で怒鳴られる。
・他の生徒の勉強の邪魔になるという理由で、放課後、他の生徒を誘って野球などやる
ことを禁止する。校庭で遊ぶことも禁止、真直ぐ帰ることを命令される。
これも、クラス全員の前で公然と言われました。
極めつけは、
上級生のボールが私の目を直撃し、左目が真っ暗状態。「ボケッとしているからだ、寝てれば治る。」と、保健室に放置状態。帰宅が遅い母親が心配して学校に来ました。そのまま近所の眼科に直行。眼科の先生から「茶目の近くまで傷があり、放置したら失明するところです。何で直ぐに来なかったの!」と注意される。
勉強は勿論、スポーツでも、何をやってもダメ生徒の烙印を荒井には押し続けられました。
後で聞いた話ですが、我が家ともう一軒のお宅だけ、アライに盆暮れの付け届けをしていなかったそうです。もう一軒は女子生徒だったので、アライのあからさまな嫌がらせはなかったようです。
小学校4年の学期末、アライが家庭訪問で我が家に来ました。
仕事の休みを取って、父親が対応しました。
父親は終始大声でアライを圧倒し、半ば追い返しました。真っ赤な顔で逃げ帰るようにして、玄関を出るアライを、私は見送りました。
胸のすく思いでした。父親の存在が、これほどまでに力強く、頼もしく感じたことはありませんでした。
私は転校生で3年生になる時に、その小学校に転校して来ました。アライも同じ時期に転勤してきました。そして、4年生が終了すると、アライはその小学校から転勤でいなくなりました。その小学校に2年いたのですが、他の先生とも結構トラブルがあったと、後で聞かされました。
私は5年生になり、学年でも足の速かったOT君と一緒に、リレーの選手になりました。
6年生の時もOT君のライバルの一人として、リレーのアンカーを務めました。
ただ、OT君にはどれだけ頑張っても、結局は勝てませんでした。
5年生になると、打つ、投げる、走る、の実技テストを通過して、野球クラブに入ることもできました。学校を代表して杉並区の野球クラブの他校との対抗戦があり、6年生になった私は3番、投手、そして主将を務めさせていただきました。
区の連合運動会の学校代表として、5年生ではハンドボール投げ、6年生ではリレーと走り高跳びなどの選手にも選んでいただきました。
人生が180度変わりました。
5年~6年当時の担任のM崎先生が、3~4年生のアライのいじめで、やや腰が引けつつあった私の背中をいつも力強く押してくれました。
M崎先生は、恩人の中の恩人です。
3年、4年の2年間は一体何だったのでしょうか?
荒井から「人間のクズ」と言われた2年間は別世界にいたのでしょうか?
たしかに、私は品行方正な出来の良い生徒ではなかったかもしれませんが、そんなに酷い生徒でもなかったと自分では思っているのですが!
別世界にいたような悪夢の2年間。しかし、その別世界から救ってくれたのは、5年~6年時の担任、M崎先生と、アライを一方的に叱り飛ばした父親だったのではないかと、今になって思うのです。
そんな気がします。
長い、そして暗い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
本日は、これで失礼します。
4月16日
※写真は市貝町の芝桜公園です。