一番古い記憶かどうか?定かではありませんが、小学校入学前の、幼少時に鮮明に残っている記憶の一つです。初めて見た、そして最後に見た父親の涙でした。
もう65年近く前のことだと思います。
優しくて太っ腹の叔母がいました。叔母たちはみんな優しくて大好きでしたが、この太っ腹で優しい叔母は特別でした。
父親の実の姉でした。
フラメンコのダンサーもしていました。
田舎でいろいろとあった家に嫌気がさして、先に田舎を出て東京に住んでいた父の姉。
その姉を頼って、東京の大学に進学し、父親も東京で住み始めました。
早くに母親を亡くした父親にとっては、この優しくて、太っ腹な姉は母のような存在でもあったようです。
その優しい叔母が、病気で入院しました。当時不治の病だったガンでした。
お見舞いに行った時、優しい叔母の衰弱した姿はショックでした。幼少の私から見ても、命の火が消えてゆくのがわかる様でした。
数日後、商店長屋の二階で寝ている時に、嵐でもないのに、突然雨戸が激しく音を立てて揺れました。
激しい音に、家族全員でビックリして飛び起きたことを、今でもハッキリと覚えています。
父親が静かな声で言いました。「姉さんが死んだ!」
残念ながら、父親の言うとおりでした。
後日、大好きだった優しい叔母の、悲しいお葬式が行われました。
父親が挨拶をしていました。涙を堪えきれずに、泣きながら挨拶をする姿が忘れられません。
どちらかというと頑固一徹、強面の父親でした。
その父親の涙を見たのは、この時が最初で最後だったと記憶しています。
もう一人の優しい叔母(父親の妹)も父の涙は見たことがなく、叔母の葬式後に、父が涙を流したのは、何十年も経って、病気療養中の父が自宅から救急車で病院に運ばれた時だそうです。
この時私は既に社会人で、自宅にいませんでした。その様子は自宅の留守を預かってくれていた、もう一人の優しい叔母(父親の妹)から聞きました。
叔母は「兄さんのあの涙は、大好きな自宅に戻ってくることができないとわかって、流した涙なのかもしれない!」
残念ながら、その通りでした。この時から既に40年が経ちました。
一番古い記憶かどうかはわかりませんが、65年くらい前の優しい叔母の姿と死、そして叔母の葬儀で見た、最初で最後の父親の涙。
この時のことは、今でもハッキリと覚えています。
2023年4月15日
※父親の形見の時計です。大切にしています。