定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

明日は4年ぶり、高円寺の阿波踊り開催とか。 昔は「高円寺のばか踊り」と言って、狭い商店街が踊り手と見物の人々で充満していました

私は高円寺で生まれて、小学校2年生まで、高円寺の南口商店街で育ちました。

物心ついたころ、高円寺の商店街は、年に一度、大きなお祭りで、「高円寺のばか踊り」が夏に行われていました。

今のような全国的なお祭りではなく、地元商店街を盛り上げるローカルなお祭りでした。

私たち家族が高円寺から永福町という街に引っ越した後に、「高円寺のばか踊り」は「高円寺の阿波踊り」に名称が変更されて、本場徳島の阿波踊りから講師を招いて、本格的な阿波踊りまつりが始まったと記憶しております。

 

成人してから、何度か高円寺の阿波踊りを見に行きましたが、子供の頃の「ばか踊り」時代とは比べ物にならないくらい、規模も大きく、沿道の観客も何十万人もいました。今では更に観客は増えて、述べ100万人も集まる、東京を代表する夏の一大イベントになりました。

 

高円寺のばか踊りは、当時住んでいた商店長屋の2階やお店の軒先で、華やかなお姉さんたちのキレイに揃った優雅な踊り、若者からオジサン達の個性的な、それこそアホになり切ったバカ踊りを見て、笑ったり、その迫力に圧倒されたり、楽しいお祭りでした。

私の父親も、当時は商店街の青年部の一員で、「ばか踊り」の運営に関わっており、「ばか踊り」の先陣を切って、高下駄を履いて、狐のお面を被った露払い役を任されていたと記憶しています。

お店の軒先で、「ばか踊り」の集団を今か、今かと待っていた時に、高下駄に狐のお面を被った、怖い人が、こっちに向かってきて、私の名前を呼ばれた時には、あまりの怖さに泣き出した記憶があります。

 

高円寺から引っ越したてから、60年以上経ちます。

10年位前に北口の商店街で高校の同級生と飲んだ時以来、高円寺の商店街を歩いていません。

人混みを避けて、都内から地方都市に転居した私(妻も)としては、100万人も集まる阿波踊りを見に行く元気はありませんが、懐かしい高円寺散歩は、近々行いたいと思っています。

ところで、明日は現住居宇都宮の路面電車、ライトラインの開業日。

こちらも、駅東口を中心にイベントなどで大勢の人が集まるようです。

後日、ライトラインに乗ってプチ観光を楽しみたいと思います。

本日は、これで失礼いたします。

8月25日

※ビニールプール。昨年まで活躍しましたが、今年は出番がありませんでした。

 孫も成長し、幼稚園プール、市営プールでハッスル。