私の生まれは高円寺。
小学校2年生まで、高円寺の南口商店街の商店長屋の2階で育ちました。
現在の南口商店街はアーケードの洒落た商店街ですが、私が育った頃は、舗装も不完全な土を固めた道路を挟んで坂の上から坂の下まで商店が並んでいました。
商店街を北に少し歩くと、中央線の踏切があり、その踏切は踏切番のオジさんが手動で大きな回転ハンドルを回して踏切を締めたり、開けたりしていました。
子供ながらに、いつか自分の手で踏切を開けたり、締めたりしたいと思いながら見ていました。高円寺から永福町という街に引っ越す小学校2年生の頃には、踏切は自動(スイッチは踏切番のオジさんが押していたようです。)スイッチに切り替わっていたと記憶しています。
その踏切の近くで電車、列車を眺めるのが好きでした。
特に中央線のオレンジ色の電車が颯爽と走る姿を見るのが大好きでした。
物心ついたころは、全ての中央線電車がオレンジ色ではなく、茶色の電車が多く、時々オレンジ色の電車が通っていたのではないかと思います。
時々、電気機関車に引かれてゆっくりと通過してゆく貨物列車の長さにも驚かされました。
ミュージシャンや芸能関係者も多く、今でこそ人気の街ですが、当時は強面の若い衆が闊歩し、大道芸人が駅前を賑やかす、なかなかディープな街だったと記憶しています。
そんな懐かしい高円寺の思い出や、風景なども文章化できればと思います。
本日は、これで失礼いたします。
9月28日
※写真が記事とは関係ありませんが、懐かしい車両が並ぶ、大宮鉄道博物館です。
2016年頃の写真です。