リタイアー後、孤独で寂しい老後を送る人の特徴の代表が、コミュニケーション下手とか、集団の中に溶け込めない、周りと協調できない人がそうなることが多いらしいと聞きます。
この観点だけを考えると、私は寂しく、孤独で、何ともつまらない老後を送るのに十分な有資格者のようです。
歳を取ってまで、無理して人と協調するつもりもないですし、ましてや集団で何かをしようとした時に、偉そうにマウントを取りたがる人が一人でもいようものなら、二度とその集団には近づきません。
偉そうな人と付き合うストレスを考えるなら、誰もいなくても、一人でいたほうが気楽だと思っています。
また、必要以上に他人のために時間的制約を受けたくないとも思うようになりました。
自分のやりたい事で時間が制約されるのは、全く問題ありません。
要するに、私はワガママ、自己中心的な人間なのだと思います。
どちらかというと、臍曲がり、偏屈の部類に入るかもしれません。
でも、これは高齢者になったからではなくて、昔からです。
もしかしたら、子供の頃からかもしれません。その傾向は思い出すと沢山出てきます。
よって、酒を飲んで、いい加減な事を言える相手?くらいしか仲間は居ません。
本当の仲間かどうかも定かではありません。
大好きな趣味のゴルフを楽しむ仲間も、ゴルフだけの仲間です。
一緒に切磋琢磨をする仲間、勉強し合える仲間は全く居ません。
心置きなく寛げる仲間は一人もいませんでしたし、多分これからもいないと思います。
面倒な人間関係は極力避けたいと思っていましたし、今も思っています。
フルタイムで働いていた時には、何とかかんとか生活のために、職場での人間関係など、我慢してきましたが、あと何年残っているかわかりませんが、残り少ない今後の時間を、面倒な人間関係に費やしたくないと思っています。
偏屈、臍曲がり、柔軟性のかけらもない高齢者の代表のようです。
さて、こんな不幸になる代表格の私の5年後、10年後、元気で生きていたら、どんなに寂しく、孤独で、悲しい老後人生になっているのでしょうか?
その姿を確認するためにも、健康が第一だと思います。
その為にも、ストレスは避ける。面倒な人間関係は避けようと思っています。
今のところ、孤独感を感じないのは、妻の存在、近くに住む長女や孫の存在。
時々会う長男の存在。
彼らの存在。家族の存在のお陰だと思っています。
家族の存在には、感謝しています。
古希を迎えて、これから孤独を好む少し臍の曲がった高齢者の将来は、どうなるのか、自分でも楽しみです。
本日は、これで失礼いたします。
2月3日
※癒しの存在。クロネコちゃんにも感謝です。