先日ブログで私には真の友達はいませんと書かせていただきました。
本日は、個人的な考えの続編を書かせていただきました。
高校以来50年を超える付き合いの飲み友達、20年を超える元同僚の飲み友達。
真の友達の定義とは何なのか?は良くわかりませんが、彼らに人生最悪の場面で、何の相談もしませんでした。相談しても助け舟を出す事は出来ないことが分かっていました。もし相談を受ける、逆の立場でも、私も何もできなかったと思っています。
では、苦しい時や困った時に相談しない彼らに、一体何を求めているのでしょうか?
何故高校時代に知り合い、大学時代からの飲み仲間が50年も、あるいは会社で知り合った飲み仲間が20年以上も続いているのでしょうか?
改めて考えてみました。
それは、安心、自己確認、そして、自分を奮い立たせる元気をもらう事ではないか?
これらが付かず離れず長い間付き合いが続いている、大きな要因かなと思います。
生き方というと大げさですが、物事に関する価値観が似ている。微妙に考え方にズレを感じる時はありますが、何が正しくて、間違っているのか、そんな基本的な部分での価値観は似ているのではないか、と思います。
その価値観の確認によって得ることができる安心感、自分の立ち位置の確認。
そして、何より、何かをしていないと気が済まない、意欲が強い連中であります。
よって、皆元気な高齢者であります。
だから、時々会って、元気な姿を見ると、こちらも負けたくないな!と思い、刺激を受けて、元気が湧いてきます。そして、俺も元気だぞ!と誇示したくなります。
但し、自分の行動や考え方を、お互いに押し付けることは絶対にしない。
もし上から目線でそんなことをした瞬間に、集まりは終了します。
上下もない、損得もない。
これは楽しい、これは面白い、そんな情報交換で元気になる。他愛のない話をして、それで満足して「じゃあな、元気で!バイバイ!」して、忘れた頃にまた集まる。
その繰り返し。だから神妙な話はした記憶がありません。
どれだけ困っても相談はしない、する必要もない、してもしょうがない。
だから、されることもない。してきたら、無視してスルーする。お互いに。
これで、良く50年も続いているなと、お互いが感心するというか、呆れるというか、そんな連中の集まりです。
硬く考えれば、表面上の付き合いで、真の友人ではないのかもしれません。
友人として正しい付き合い方とはどういうものなのかなど、この年になって真剣に考える気は、私にはありませんし、おそらく彼らにもないと思います。
ただ、時々会って、元気な姿を確認し合う。いずれ元気でなくなる日まで、そんな付き合いが繰り返されるのだと思います。
あと何回会えるのかわかりませんが、そんな集まり。
それで十分な高齢者です。
個人的な話に、お付き合いいただき恐縮です。
本日は、これで失礼いたします。
3月10日
※この写真は記事とは関係ありません。
2015年以降、毎日最大の癒しの存在、我が家のクロネコです。