定年退職後、自由になったはずなのに満足感を感じない男性が多いと、高齢者のカウンセリングをしている先生の記事が目に入りました。
定年退職後、妻は夫の在宅時間が長くなることによるストレスで夫源病になる。
母の日を前に気になる記事が目に入りました。
会社人間として活躍してきた自身のイメージが強すぎて、折角訪れた自由な時間を、何に使ってよいかわからない夫が多い。
それだけならまだしも、長年会社で活躍してきた中で自然と培われてきた、見栄、プライド、意地、嫉妬、という「心の4大生活習慣病」から抜け出せずに、妻に対して感謝の言葉も掛けられずに、むしろ逆に、妻に対して在宅中に要求の連続、質問の連続、命令の連続。
妻からは在宅を疎んじられる。
会社では上司に謝ったり、ありがとうございました!は言えても、妻には素直に、ごめんなさい、ありがとう!が言えない夫。
家での居場所がなくなる前に、折角の定年退職後の自由時間を、有意義なリタイア生活に変えるためにも、男性の自覚と意識の変革が必要だとの記事でした。
長年会社のために一生懸命働いてきた夫の、何だか悲しい姿が、クローズアップされます。何のために、ストレスを抱えながら、頑張ってきたのか?
様々なストレスを何とか自分自身で消化しながら、職務を全うしてきた結果、家で居場所を失くしてゆく。
これは余りにも悲しすぎます。
今に始まったことではなく、昔から良く言われていた、定年退職後の夫の居場所問題。
自分自身に置き換えてみると、理想の形ではないでしょうが、妻への感謝を忘れずに、妻の手伝い(というか家事分業思考)を、何とかかんとかやってきたのではないかと自己採点しています。定年退職後、今のところ邪魔者扱いされず、それなりに楽しくやれているは、妻への感謝や詫びを素直に表現してきたからかな!と自己採点しています。
時々、妻には鬱陶しくないか?と聞きます。時々鬱陶しい時もあるそうですが、総合的には何とかなるレベル=合格!だそうです。ホッとします。
家事については、自分の分業範囲を、定年退職後増やしてきましたが、その場合、気を付けているのは、妻の意向を確認しながら、行うように気を付けています。気を遣うというレベルではなく、あくまでもお互いに確認し合いながら行う、つまり報・連・相の意識です。
会社でも上司、部下、同僚に対して、常に重要視していたこと、報告、連絡、相談。大体のミスや間違いはこの報告、連絡、相談の欠如、つまり阿吽の呼吸とか、言わなくてもわかっているだろう!という考え方。
夫婦の間でも全く同じだと思います。阿吽の呼吸だけは絶対に頼らないようにしています。「阿吽の呼吸」、昔から嫌いな言葉のひとつです。
ミスの元凶、意思の齟齬を生む元凶だと思っています。
何だか、またまた、まとまりのない記事になってきましたが、明日は母の日。
母親は何十年も前に天国に召されましたが、その母親に感謝し、そして改めて、妻の存在に感謝をして、母の日を迎えたいと思います。
5月13日
※娘と息子の名前を書いた、亡き義父の作品。我が家の宝物です。