定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

川内選手、マラソンがホントに好きだし、走るのが楽しそうです。

先日行われたMGC、マラソングランプリシリーズ。

第4位と大健闘した川内選手が、MGCの翌日テレビ出演して、アッと驚く大逃げの理由、35キロ過ぎからの駆け引き等について、話していました。

大逃げを決めたのは当日。雨で大逃げを考えたそうです。それも土砂降りで、皆が慎重になることを予測して、そして周囲からも煽りが入って、その気になって大逃げを決めたそうです。しかし、行けるところまで突っ走る大逃げではなく、25キロで追いつかれることを予測しながら、追い付かれた後も、何とか粘れるように、その後の余力を考えながらの大逃げだったそうです。

後続の追い上げが35キロ地点と、予想以上に遅かった理由として、「半数は追い上げた後の自分自身の失速を怖がって、残りの半数は、いつか川内は失速すると、私を甘く見ていた。」

と語っていました。

追いつかれた後、粘れた理由は、「35キロ地点という追いつく後続グループの選手としてはギリギリの地点。これ以上、勝手に走らせてはマズいと考えて、結果的に大迫選手が、第二集団をかなりなスピードで引っ張った。その為、追い上げてきた選手は、そこまでかなりの足を使ったので、追い付いたら一息入れることが予想できた。実際に一息入れてくれて、これは私にとっても、休めたので助かった。余力を残して、35キロ以降が勝負だと思った。」

更に「大迫選手の走りを見て、一気に抜きにかからないという事は感じ取れた。」

などなど、淀みなくその時感じたこと、何を考えながら走っていたのかを話してくれた。

素人の私には、どの話も説得力があり、また、聞いていてとても楽しい気持ちになりました。

 

川内選手のみならず、小山選手、赤﨑選手、大迫選手はじめ、42.195キロの距離を走るには、走ることが好きでなければできないと思いますが、川内選手の話を聞いていると、この方はホントにマラソンが好きなのだな、ホントに楽しみながら走っているのだな、と思いました。そうでなければ、常識では考えられないマラソン出場130回などという記録は作れないと思います。

 

小学4年生の頃、甲州街道で実際に見た、東京オリンピックのマラソン競技。

堂々の銅メダルを獲得した円谷選手が、その後走る事への重圧から、自ら命を絶った悲劇。

円谷選手の隣に、もし川内選手のようなライバル、友人、チームメイトが居てくれたならば、

と考えてしまいました。

時の流れ、時代の変化なども感じます。

 

川内選手には、これからもマラソンの楽しさ、奥深さなどをドンドン発信して頂きたいと思いました。

10月20日