定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

譲り合うことは難しい? 譲り合おうとしない人がいると、突然ハイド氏になる自分。 自宅前の道路は修行の道。

自宅の前の道路の話です。

自宅から、南の幹線道路、北の幹線道路、どちらに行くにしても微妙な幅の道路を必ず通らなければなりません。

双方向の車がスムーズに行き違える十分な幅があるようでない微妙な幅の道路が続きます。

しかし、ところどころに、充分な幅があり、対向車が来た時には、必ずそのところどころの幅の広いところで待つようにします。

この道路を通りなれている人であれば、大体そのところどころと、譲り合う加減というか、どこで、どのくらいの減速をして譲り合う意思表示を対向車に知らせるか、結構わかって運転している人が目立ちます。

 

対向車の譲り合いの精神を結構感じて、こちらも譲り合いの精神満載の雰囲気を出して、運転します。

 

しかし、時々、譲り合いのかけらも感じない車に遭遇します。

正面衝突覚悟と思われるスピードで突っ込んでくるアホな車。

幅広の場所で譲ろうとしているのに、幅広の場所に入りにくくするくらい、ジリジリと車を寄せて、邪魔だと言わんばかりにジリジリと前方のスペースを詰めてくる全く状況把握ができていない車。

時々、このような車に遭遇すると、いきなりこちらも譲り合う精神が失せて、嫌みな運転、わざと邪魔になるように、モタモタした運転で、せめて相手をイライラさせてやろうと、意地の悪さというか、性格の悪さ、ハイド氏が顔を出します。

ヒョットするとトラブルの原因になるかもしれない危険行為かもしれませんので、控えようとは思うのですが、瞬間顔をだしたハイド氏が、自分を覆ってしまいます。

 

自宅前のこの道路は、如何にハイド氏を出さずに、自分をコントロールするか、自分の心を鍛える修行の道路と最近思うようにして、傍若無人、失礼な寄せ方をする車にも、寛大な精神をもって接し、譲り合いの気持ち満載で運転する事を心掛けています。

この道路を譲り合いの精神満載で通り抜けると、その日終日、比較的譲り合いの平和な一日で終わるように思うのは、気のせいなのか、偶然なのか。

自宅前の道は、自らの心を、どんな対向車が来ても、自ら平常心、譲り合いの精神を保つ修行の道です。

11月18日

※これから寒くなりますが、空気が澄んで、日光連山がますます綺麗に見える季節に

 なります。寒いのは苦手ですが、山の眺めは良い季節になります。