高円寺に住んでいた頃、商店街の裏に路地があり、そこが子供達の遊び場でした。
通称 裏の道と呼ばれていました。
我々が幼稚園に行く年齢の頃、その裏の道を仕切っていたのは小学校4~5年生の近所のお兄ちゃんたち。
漬物屋のお兄ちゃん、雑貨屋のお兄ちゃん、レコード屋のお兄ちゃんたちが、安全に、仲良く遊べるように、仕切っていました。
ゴムボールでの三角ベース、缶蹴り鬼ごっこ、水雷艦長、メンコ大会、月光仮面ゴッコ、各種ヒーローゴッコ、裏の道から商店街に出ないルールでのかくれんぼ、などなど。
裏の道での光景、出来事、いろいろと思い出します。
裏の道の悲しい子猫のことも忘れられない記憶です。
小学生になる前でした。
段ボールのような箱に入って、捨てられていた子猫を見つけました。
4匹の内、息をしているのは1匹だけでした。
3匹は、記憶では近所の空き地に穴を掘り、埋めました。
今だったら問題でしょうが、当時はそんなことは良くわかりませんでした。
息をしている子猫を何とか育てよう。
家でミミコというスピッツを飼っていたため、我が家では猫は飼えませんでした。
近所の裏の道仲間(みんな就学前の子供ですが)の家も猫は飼えません。
そこで、私が中心となって猫を裏の道で育てることになりました。
箱をたくさん集めて、裏の道の安全そうなところを選んで、猫の住家としました。
家から牛乳などを持ってきて猫に飲ませました。
今でこそ猫に牛乳を与えるのは下痢の原因となり、猫にとっては消化に良くない事から、安易に与えるのは勧められないようですが、幼少の頃はそんなことはわからずに、栄養は牛乳でと思い、毎日牛乳をあげていました。
3日もしないうちに、朝裏の道仲間の一人が慌てて我が家にやってきました。
「アキちゃん、猫が死んじゃった」
急いで、猫の住家に行ったところ、子猫は息をしていませんでした。
空き地に埋めた3匹と同じところに埋めました。
今であれば、法律的には問題ありですが、65年前の当時は、そんなことはわからずに、兎に角救えなかった小さな子猫を埋めながら、心が痛みました。
その当時の悲しい思い出が、8年半前、近所の公園の植え込みで悲しそうに、不安そうに鳴いていたクロネコを抱き上げて、家に連れて帰る原点だったのかも知れません。
今、安心しきって家の中で寛いでいるクロネコのココを見ていると、時々高円寺で救えなかった子猫を思い出す時があります。
65年も前の記憶です。
救えなかった子猫の分まで、クロネコを可愛がって、お互いに幸せな気持ちになるんだ。
そんな思いも持ちながら、8年半一緒に住んで、毎日癒されているクロネコに感謝し、救えなかった高円寺の子猫達を時々思い出します。
3月14日
※癒され続けて、もう8年半。これからもよろしく。