定年退職後、スモールライフを楽しもう!

定年退職後、思い切った断捨離を断行。定年退職後の妻との日常生活、趣味、同居クロネコの様子、脳活回想録など、思いつくまま書いてみます。

回想。後悔先に立たず。過去は変えられない。未来も無いこともある。

小学校の頃、野球が大好きでした。

3年、4年生の頃、私を嫌っていた担任から、「他の生徒の勉強の邪魔になるから、他の生徒を野球に誘うな」と言われて、一人でグローブを持って、平日の放課後や土曜日には、グラウンドの端にある、壁投げの的に向かって、黙々と一人でボールを投げるくらい、野球が大好きでした。

私を嫌っていたその担任は、たった2年で他校に転勤。

人間のクズ呼ばわりされた暗黒の2年間が終わりました。

 

5年生になると、体育の先生の勧めで、野球教室に入り、6年生では、学校を代表するチームの主将に任命されるという2~3年前には考えられない名誉な役割を頂きました。

チームは区の分区大会準決勝戦で負けてしまいましたが、野球の面白さを存分に感じることができました。

チームプレーの面白さに目覚めました。

 

中学校に入ったら野球部に入ろうと思っていたのですが、背が比較的高かった私は、バスケット部の1年先輩の目に留まりました。

その先輩は、当時としては強面の、あまり柄の良い先輩には見えませんでした。

体育館に連れていかれて、バスケ部に入れと半ば脅しのような勧誘を受けて、情けないことに「ハイ」という事で、バスケット部に入部しました。

その先輩はいい加減な男でした。

ホントにいい加減な男で、私を半分脅して勧誘しておきながら、夏休み前には、新設のサッカー部にサッサと鞍替えしました。

後で知ったのですが、1年生の時には野球部に所属していたとの事でした。

2年生の初めにバスケに転部し、夏休み前にはサッカー部に鞍替え。

個人の勝手ですが、このいい加減さに頭にきた、野球部新3年生の主将が、そのいい加減な2年生の先輩を呼び出して、「野球部辞めて、バスケに転部するときに、どうしてもバスケがやりたいと言ったのはウソだったのか。いい加減なことばかり言ってんじゃねえぞ。」と説教する場面に出くわしました。

男気のある、校内一の硬派にして、大物感たっぷり。それでいて正義の味方。

その野球部新主将を怒らせるくらい、いい加減な男の脅しに屈して、バスケ部に入部した事を私は後悔しました。

しかし、バスケ部を辞めて、野球部に転部する勇気はなく、そのまま中学の3年間はバスケット部に所属しました。

それはそれで、楽しかったのですが、長い人生の中で、あの時、いい加減な先輩の脅しに屈せずに、野球部に入っていれば、かなり強面だけど、男気のある2学年上の尊敬する主将にいろいろと野球を教えてもらうことができたかもしれないと、何度も思いました。

もう一度、あの時に戻れたら、野球部に入部したい。

その後、どんな中学生活が待っていたのか。

そして、その後の高校生活でも野球を続けていたのかどうか?わかりません。

しかし、青春時代の景色が少し変わったのかもしれないと思ったものです。

しかし、過去は変えられません。未来は変えられます。

しかし、野球に関しては、もう私に未来はありません。

テレビで、野球場で、MLBNPB高校野球などなど、スーパープレー、熱いプレーを観て楽しむだけです。

2月15日

※ひたすら見て楽しむ野球の世界です。